(キム・キウンのミュージック、跳び箱より歌唱力)
妻がミュージカル オペラ座の怪人を非常に好む関係で2回ほど公演会場
を探した,正規公演が終わった後開かれた‘終演記念分けてコンサート’
まで取りまとめてみた。主要配役を引き受けた俳優らと招待歌手らは
珠玉のようなミュージカル ナンバーらをはじめとして自分たちの愛唱曲
までオーケストラ伴奏に合わせてすっきりしている舞台をリリースした。
十数年目アイドル スターらが主導権を握っている‘主流歌謡界’に身を
置いている私としては、‘精神列’置いてした側だけ眺めればほとんど
忘れて生きるほかはない純度高い歌唱の美しさを今一度感じた貴重な
時間だった.
特に2005年オリジナル チーム公演と2006年ソロ コンサートを通じて
国内ミュージカル ファンたちにも良く知られたブラッドリトルの迫力感
あふれるパフォーマンスは、歌唱の力と美しさを見せた光る舞台だった
彼の‘声’には色彩感があふれた。 ただ歌をよく歌ったということより
声で絵を描いたと考えられる程。 しばらくが過ぎた今までも余韻が残る
ほどだ。その素敵な舞台の感動を十分にかんでみて私達の歌謡界を
さっと見て回る 誰がなんと言っても2010年我が国は音楽先進国だ。
だが、どうしたことか歌唱力を主な武器でする大型‘ソロ’歌手らの
位置づけは減っている。 なぜであろうか?
歌謡発展の根幹になる‘新人’の出現を見ても、多様な形態の全
方向的娯楽性を整えたグループ、グループ、グループだけだ。
デビュー後スター隊列に上った新人ソロ歌手らを数年間本当に探す
のが難しい状況. 徹底的に産業化されていきつつある音楽界で、
歌上手にする歌手を探してスターで作るという粋と風流で武装した
度胸良い企画会社の不在も原因だ。
ここに音楽主消費層の10~20代の口に合う準備されたスターだけ
探して見せる媒体と放送の責任も無視しにくい。
この前、私が作っている生放送音楽プログラムに
チョ・ソンモとフィソンのカムバックがあった。 デジタル音源や
レコード販売量も良かった、待ったファンたちの反応も良かった。
彼らの生放送舞台を準備して何度かのリハーサルを経る間、
何か分からない‘清涼感’がした。
単純にも理由は、これらがぴりっとするほど歌が上手なためだった
気がせいせいするほど歌上手にする、これらのリハーサルを見て
いようとすれば、歌で絵を描いたブラッドリトルの分けてコンサート
舞台がデジャブのように交差した。
この頃音楽プログラム出演者の70~80パーセントが男女グループ
形態だ そして大多数は伴奏用音源にかなり多くの部分の歌
(アカペラ)を‘敷いて’くる。
リアル バンドでない伴奏音源中心に舞台を整える西欧黒人音楽が
この頃私たちの音楽の根幹をなしながら歌手声まで‘伴奏’の一部で
利用することになった。もちろんそれは舞台を豊かにさせる試みで、
しかしある時は足りない歌実力を隠そうとする意図と見え惜しい感ある
音楽は絶対‘オリンピック’でない。歌上手にすると大衆的成功を保証
されることは大変だ。 凄じい歌唱力を持った歌手もひと目で大衆を
惹きつけるほどの魅力が足りないならば、ただ‘歌上手にする人’に
残るほかはないだが、大衆音楽の出発点、いやロマンが生きている
歌謡界の開始点は、どこか隠された整えられなかった原石を探して、
磨いて油をさして‘スター’で作る過程ではないか?
お互いを振り返って力を得て,そこで出る ‘プラスアルファ’のパワー
でスターになる人気グループももちろん良いが.人々は常に新しいのを
見たがる.しかし胸を打たれたい時もある.今はそんな感動を伝える
スターの出現が本当に必要な時期だ.
この間舞台で見たチョ・ソンモはもっと完熟になったし余裕があられた.
このごろ幼いファンにはたぶんミュージックビデオの中のその歌手,
もしかしたら跳び箱よく飛んだ芸能人だという気がすることもできる
でしょう.しかし彼を長い間愛して来たファンは彼を ‘チョ・ソンモ’と
呼ばないで,‘歌手’と呼ぶ.
歌手.これいかにロマンチックな名前で,大きい賛辞か!
<MOVIEWEEK>
本当に”良い記事”ですね、『歌手』その通りです。
返信削除永遠の『歌人』です。^^