このごろ歌謡界では歌手チョ・ソンモ(33)の破格変身が話題だ.
10ヶ月ぶりに新しいアルバムを出した、バラードではないエレクトロニック
音楽を前面に立てた.アルバム写真でも以前の柔らかいことは陰も形もなくて,強烈な目つきに神経質的な表情が ‘悪い男’の典型だ.
デビュー 12年次である ‘バラード皇太子’はどうしてこんな冒険を敢行し
たのだろう.去年 10月足首負傷で三回手術をしたからなのかチョ・ソンモ
は顔肉が特にたくさん抜けていた.放送局の親しい PDが振り返ってから
分かるほどと. しかし親しい言いぐさとファンファン笑いはこの前そのまま
だった.何の心境の変化があったからそのように変身を試みたのか分かり
たかった.
●歌も,外貌も ‘悪い男’ 変身
“ 12年間音楽をして来て、どの瞬間も観客入場で考えをして見ました.
またバラードを歌えばそらぞらしいようで,私もマンネリズムに抜けるようだ
ったです.それで反転もあって何かちょっと分かりたい人に変わって見たか
ったんです.実は手術直後に肉がたくさんあったが、アルバムコンセプトに
合わせて痩せました.幼い時代うぶ肉が完全に抜けて痩せたように見える
こともあって.”
外的な変化よりもっと反転に近いことはミニアルバムタイトル曲
‘浮気をするつもりなの’にある.男問題で焦らす恋人に ‘向かい風を立てる’
と宣言する歌詞も印象的だが ‘及んだの’,グループ ‘ブラウンアイドガー
ルス’の ‘どうする’ など最新エレクトロニックダンス音楽ヒット製造機
‘勇ましい兄弟’と一緒に作業した点が目立つ.
“ 初めにはアイドルグループが歌うに値する歌を持って来てすごく荒てま
した.(お互いに頭を突き合わせて) 単純なダンス曲ではない刺激的なエレ
クトロニックと力が強いロックを組み合わせた ‘ロックトロニック’という新し
いジャンルの曲で作って見たんです.パフォーマンスも編まれた放送振付
よりはミュージカルショーの一場面を見せてくれることのように言うように
歌詞を表現するのに主眼点を置きました.”
●デビュー以来ダンス初挑戦 ‘踊り演習三昧境’
彼は新曲 5曲の中 3曲を作曲した ‘勇ましい兄弟’を含めて大部分のス
タッフたちを自分より年が若い人々に構成した.10代アイドルが零れ落ちる
歌謡界の風土を持って無謀な変身という周りの挽留もあったが気に止め
なかった.
“ 既存概念から脱して新しい姿を捜したかったです.その間作業して来た
スタッフたちはどうしても ‘チョ・ソンモ’という固定観念を破壊することを恐
ろしがりました.これを覚めるために果敢に後輩たちに任せたんです.先後
輩の間に張りつめている緊張感も感じられて,シナジー效果も生じて良か
ったです.一歳でも若い場合、トレンディな歌をして見ると後でコンサートで
も観客たちとおもしろく遊ぶことができないですか?”
デビュー以後初めて正統ダンスに挑戦するためにリハビリ訓練と踊り演
習を同時にしたというチョ・ソンモ.照れくさいが舞台の上での表情演技も
練習するという彼は後輩たちには年に構わずに挑戦する勇気を,ファンに
は風変りな楽しさを与えたいと言った.もし去年復帰アルバムの不振と事
故による空白負担になることで変化を選択したことではないのかわざわ
ざ ‘ざらざらしてつやがない’ 質問を投げて見た.
“ アルバムは損害を被らなかったが空白による金銭的損失は大きかった
です.年末国内外公演はもちろん契約したミュージカル出演までキャンセ
ルされて周辺被害が甚だしかったんですよ.心的にとても大きい苦しさに
陷沒されてた後には暮そうとばたついたんです.そうするうちに去る 12年
の間歌手生活をしたことだけでも感謝した事と言うのを悟るようになりまし
た.”
●負傷によった莫大な損失で心的苦痛苦しんで
彼の言葉のように 10年以上にした分野でずっと仕事をするということは
たやすい事ではない.特に浮き沈みがひどい歌謡界で二十一歳の年に
ミリオンセラーを記録して頂上に上がった彼にはもっとそうだ.
とても幼い年令に得た成功はどんな影響を及ぼしただろうか.
“ あの時は私が選択して作ればなんでもなるかと思ったんです.甚だしく
は童謡を歌ってもアルバムが数百万、市場に出るようなほどの考えに抜
けたこともあります. しかしもう私のできることは歌しかないという事実を
悟りました.どんなに良い人々に会うのかがもっと重要なのですよ.
一番重要なことは謙遜というのを 12年ぶりに悟りました.”
音楽がとても早く ‘消費’になっている時代.アイドルに轢かれて不振な
バラード歌手も過去の光栄だけ懐かしがるのではなく音楽をどんなに
説得力あるように聞かせるか悩まなければならないというチョ・ソンモ.
彼はもう大型企画社という ‘温室’がなくても雑草のように熾烈に生きて
行く自信感が生じたと打ち明ける.
“大型企画社から小さな会社に移したが後悔はないです.ずっと巨大企画
社に残っていたら花草のように堪えてからはあるが,機械のように歌を歌っ
ているかも知れないです.今私の中には今一度上って来る熱情と夢を導く
野性があります.”
イスングチォル,イ・スンファンなど先輩たちのように終わりまで ‘公演型
アーティスト’で残りたいという彼は “お金に浅薄にならないで歌手として
存在感を守りながら絶えず大衆と疏通する中間点を尋ねることが信條”と
力をこめて言った.良い曲に会えばいつでもバラードに帰って来るという
話も忘れなかった.彼の言葉のように歌手としての ‘後半戦’を一日一日
熾烈に生きて行く熱情がそっくりそのまま伝わった.
(ソウル新聞)
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